第2回 秋のハイキング案内

琵琶湖畔に集まろう!!

皆さん、依然として続くコロナ禍の中、いかがお過ごしですか。
今年から世の中の動きが大きく変わってきて、スポーツやイベントで観客を制限なしの行事が増えてきました。私たちはこの現状に組することはなく、あくまでも感染防止を最重点課題として対策を立てた行事を実施致します。
昨年、会員の交流の場として、秋のハイキングを試行実施してみました。その結果、年間行事としての目途が立ちました。これは19回卒の林田実さんのバックアップによるところが大きいのですが、これから毎年11月23日(祝日)を「秋のハイキングの日」とする計画にしたいものです。今年のハイキングが決まりましたのでご案内します。お誘いあわせてご参加下さい。

日時・集合場所

11月23日(水・祝)  10:00~15:30(現地)
大阪   8時50分 JR大阪駅(中央改札口・セブンイレブン前)
大津迄の乗車券を購入して集合 9時の新快速に乗ります
大津   9時50分 JR大津駅(北口改札口前)

行程  JR大津~①大津市百町(大津祭曳山展示館)~②大津城~③浜大津港~④義仲寺~⑤膳所城~JR石山寺・解散
(行程距離8~9㎞  ○数字は解説有り)

費用(予測)  交通費 JR大阪~JR大津、JR石山寺~JR大阪  1,900円
入場料・拝観料  300円

その他   弁当・飲み物は各自でご用意ください。義仲寺見学後、スーパーで弁当購入タイム予定。
ハイキング可能な靴と服装で来てください。
現地ガイドは、今年も林田 実さん(高19回卒)にお願いしています。
※ 参加ご希望の方は、スマホ又は携帯から下記のアドレスに「参加する」とお送りください。なお、住所・お名前・携帯番号をお忘れなく。連絡は、携帯のショートメール等でさせていただきます。

jimukyoku@amatakakansai.ne.jp
QRコードをご利用ください


 

【解説】
①大津百町
かつて大津宿は東海道の53番目の宿場町で、東海道や北国街道などの主要街道が交差する交通の要所でした。更に琵琶湖の物資が集散する港町の機能を持っていて、東海道で最大の人口を有する宿場町でした。元禄の頃は人口一万八千人の大都会で百の町があり、豪華で高い文化水準の町集文化を伝える「大津祭」が発展したのはこの時期だと云われています。
「八丁通り」は本陣や旅籠が、「京町通り」は問屋、「中町通り」は日常品小売店、「浜通り」は物資を一時貯蔵する蔵屋敷が並んでいました。江戸時代、人と物が行き交う賑わいぶりで「大津百町」と呼ばれました。
大津曳山展示館
湖国三大祭のひとつである大津祭がテーマの展示館です。大津祭は江戸時代初めに創始されたと云われており、13基の曳山がお囃子にあわせ、各山のテーマに応じたからくりを披露します。展示館では原寸大の曳山の模型1基と、すべての曳山ミニチュア模型の展示や映像で祭りの紹介を行っています。ここでは大津祭の楽しさが体感できます。
②大津城
浜大津周辺一帯にあった水城です。二の丸・三の丸は内陸側で、本丸は湖岸に面し、港の機能を担っていました。浜大津港は本丸の沖側を埋め立てて建設されています。関ケ原の戦い後は廃城となり、天守などが膳所城や彦根城に移築されたと伝えられています。
築城は1986~7年(天正14~15)ころ、豊臣秀吉に命じられた浅野長政によるものです。その後の城主、京極高次は関ヶ原の戦いで東軍に属し、西軍15000に城を包囲され3000の軍勢で壮烈な籠城戦を戦ったそうです。

③浜大津港
大津港とも云われ、国交省指定の地方港湾です。かつては琵琶湖水運の拠点として栄えましたが、鉄道網の整備に伴いすたれていきます。現在は遊覧船の発着と官公庁運航の各船の拠点になっています。併設のマリーナや公園として整備され、多用途のレジャーに利用されています。
大型浮桟橋は一号桟橋に観光船「ビアンカ」「うみのこ」、二号桟橋は固定桟橋に接続され、観光船「ミシガン」などが使用しています。
④義仲寺(ぎちゅうじ)
天台宗系の単立の寺、山号は朝日山で、本尊は聖観音菩薩です。境内全域が国の史跡に指定されています。 源義仲の死後、愛妾の巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、日々供養したことに始まると伝えられています。江戸時代に荒廃していたのを浄土宗の僧・松寿によって、宝篋印塔の義仲の墓を建立し、小庵も建立して義仲庵と名付けました。元禄5年に寺名が義仲寺に改められています。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南が気に入り、たびたび滞在しています。大阪で亡くなった芭蕉は、その遺志により義仲の墓の横に葬られました。門人の俳句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」は有名です。

⑤膳所城
日本三大湖城のひとつに数えられる水城です。関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は東海道の押さえとして、大津城を廃して膳所城を築かせたのです。陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が湖に突出す梯郭式の縄張りでした。本丸には4重4階の天守が築かれ、水面に映える姿は美しく、里歌に「・・・水に浮かぶは膳所の城」と謡われています。
明治3年、新政府の太政官布告によって廃城となり解体されました。現在は陸続きとなった本丸跡が「膳所城跡公園」となって整備されています。本丸大手門が膳所神社に、北大手門が篠津神社に、南大手門が鞭崎八幡宮に現存しており、国の重要文化財に指定されています。

ハイキングチラシ(案内用)②

 

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