天草への里帰り
天草に里帰りしてきました
令和5年10月1日(日)から天草へ里帰りして翌日、2日(月)天草高校を訪問しました。卒業したのが昭和38年(1963年)ですので、実に60年ぶりの母校です。中川校長は出張で不在でしたが稲本副校長・古閑教頭・宮崎先生に温かく迎えて頂き、在校生のこと、卒業生のこと、同窓会のことなど色々と話し合いました。
その後、運動場、天神門と巡り歩き、すれ違う生徒達の挨拶の声にも懐かしさが、いや増しました。
今回は西九州新幹線を利用し、新神戸~博多~武雄温泉~諫早~島原と乗り継ぎ、島原城、原城跡を見学して口之津からフェリーで鬼池港というコースをとりました。
鬼池港からは、関西図南会広告掲載の鬼池タクシーで案内して貰った御領小学校は現在、閉校になっており、ビニールハウスが何棟も建っており、中ではトマトが栽培されておりました。
もちろん実家の墓参りもしましたが、同級生と逢って、釣った魚を食べながら歓談し、大いに盛り上がりました。
翌日・2日(月)は天草高校の同級生・亀子氏と天草宝島観光協会の福田事務局長へ広告掲載お礼のご挨拶です。毎年、「天草のロードマップ」や「天草総合ガイドブック」そして持ち帰り用に重宝な「手さげ袋」を提供して頂いており感謝です。
近くには日本百名橋の一つである「祇園橋」がありますが、現在、崩落の恐れありで通行不可でした。
今回は島原・天草一揆の歴史の旅でもありますので改めて天草キリシタン館にも行き、同級生の亀子氏の案内で「天草四郎陣中旗」や「マリア観音像」等の説明も詳しく聞くことができたし、平田館長にもお会いできました。
キリシタン館の天草四郎の像にお別れして、熊本県で一番長い橋、天草未来大橋を案内して貰いましたが、この橋の開通で渋滞が解消して空港まで約2時間で走れるようになったとのことで、少しずつ暮らし良くなっているようです。
夜は同級生4人と会食で、来年・2024年の4月「傘寿の会」の開催話に花が咲きました。
宿泊先は関西図南会広告掲載のプラザホテル アネックスで二泊しました。従業員の方々もとても親切で快適に過ごすことができ、山下國人会長、山下修平社長とも親しくお目にかかることができました。
9月末には炊事、洗濯ができる長期滞在型ホテル「プラザホテル キューブ」もオープンしています。
3日(火)はバスで熊本へ。小竹組の江越社長夫妻、熊本学園大学志文会・住永会長と馬刺しや新鮮なお魚、おでん等をいただき、二次会で行ったピアノバーでは、ゆったりとカクテルを楽しみ、マスターの素晴らしいピアノ演奏と歌声に魅了されました。
最後の日、4日(水)はくまモンスクエアでくまモンのステージを観覧しました。折からの国慶節だからか、中国、台湾のお客がほとんどでした。
最後に、『図南橋』とは、中国の故事に「北海にすむ鯤という大魚が化した鵬という巨鵬が南海に飛ぼうとする時は、その翼で3千里の水面を打って空高く9万里も舞い上がり、6か月も飛び続ける雄大な寓話」に基づく『図南鳳翼』から図南橋と名付けられたそうです。「南に向かってそれぞれ大きく羽ばたく」の意です。 天草高校同窓会 図南会はその意をくみ取り、組織化されております。
図南会の山川事務局長、鬼塚事務局次長を訪問し、お互いの情報交換をして参りました。
関西図南会も総会・懇親会や春・秋のハイキング等を通じて、会員間同志の交流を深めると同時に、5縁(血縁・地縁・学縁・社縁・趣縁)を繋いで同窓会を大きく、拡げて羽ばたいていきたいものです。
´ 高15回卒 副会長(組織部担当) 本島 昭男
天草帰省の「旅物語」として語り継がれてもおかしくないような、大変すばらしい旅となったようですね。
島原・口之津~鬼池のコースも個人的にうらやましくて大変良かったですね。
短い期間に、関西図南会という公の立場でも、八面六臂のご活躍に敬服します。
昨年四年ぶりに亡父の法事で帰省をしましたが、今回本島副会長の報告を読んで、また天草
へ帰省したくなりました。
最後に、図南橋命名の謂れは初めて知りました。
ありがとうございました。お疲れさまでした。
相変わらず元気に色々と訪問されているのに感心しました、羨ましい限りです。
色々と訪問先の写真やコメントを書いてもらっているので、少し行った気持にもなります。
私は特に祇園橋の写真に見入りました。少年の時、何度あの辺りで遊びまわったことか・・・
今後とも天草までは行けない者にとって是非また記事を載せて頂ければ幸いです。
ありがとうございました。 高11卒 益田信行
関西不動会の松村です。
いつも分かりやすくまとめられておりさすが本島さんですね。
故郷は遠くにありて想うものではなく、故郷には努めて帰るものだと思います。
昨日、NHKの昼の番組で故郷山鹿市の栗🌰の収穫やスイーツフェアのことが放送されていました。
山鹿市にある洋菓子屋さんが全国モンブラン大会で優勝したとのこと、故郷の便りは嬉しいものです。
ありがとうございました🙇
本島昭男さま
10月2日にたまたまプラザホテルアネックスのロビーにおりましたら、常日頃ご指導頂いている先輩・亀子研二さん(現本渡南地区振興会長)が顔を見せられて、そのあとに本島さまがお見えになりました。ご夫婦でアネックスにお泊まり頂いているとのことでご挨拶を申し上げました。ありがとうございます。
60年振りの里帰りとの事ですので天草の変わりようもお感じいただいたとおもいます。帰省ルートは偶然ですが、私のサラリーマン時代の先輩が東京から遊びに来たルートと同じなので何となく納得しました(天草は長崎県と思っている人が多い)(^_^)
本渡町は人口減少はほとんどありませんし、隣接している亀場、佐伊津町ほとんど減っていません(もちろん増えてもいませんが、)が、天草市全体を考えると、合併時(2006年)の10万人から7万3千人に減少しています。
関東あまたか会員の皆さまも頻繁にお里帰りを頂いて、「天草」の現状をお感じいただいて建設的なご意見、ご提言を頂ければと思います。
天草高校の校歌にはこう歌われています。「西海の別天地」
昭和36年春に天高を卒業してから62年が経過しましたが、一度も母校を訪問したことがない不良OBです。今春、7年ぶりに妻の実家(合志市)に帰省し、天草も訪問して本渡のホテルで2泊しましたが、新型コロナ蔓延時になくなった高校時代の親友・従兄2名の墓参りと従兄従姉会の会合だけで終わってしまいました。貴君の投稿を懐かしく拝見しながら、貴君の凄い行動力に驚嘆しました。有難うございました。