学年通信(高15回卒)

 

天草地区同級生だよりです!                       亀子 研二(天草在住)

天草未来大橋

西海の別天地
2月25日 、熊本県下で一番長い橋が開通した。天草未来大橋である。この橋を渡って多くの観光客が崎津集落を訪ねてくれることを期待したい。

「君は何処の出身、九州です、九州のどこ、熊本です、熊本の何処」やっと三回目に天草です、と言えた。変な劣等意識があった。
自分が育った島を自信を持って言えるほど、島のことを知らなかった。西海に浮かぶ貧しい島、からゆきさんの島、炭鉱が沢山ある島、漁師が沢山いる島、島原の乱があった島、これくらいの知識しかなかった。高校の日本史でも天草の地域史はなかった。知ろうともしなかった。今にして思えば誠に残念なことだ。

天高の校歌は大好きだ。本渡南小学校の校歌も犬童球渓の作曲だ。 同級生の集まりの最後は必ず天高の校歌で締める。
25年前から天草の観光ガイドをしている。江戸が湿地帯であったころ、天草には西洋式の大学があり天正の遣欧少年使節4人が学び、多くの神父を養成し、天草から日本中に西洋の文化を発信していた時代がある。悲しい殉教の歴史もある。 天領の時代には、鈴木重成たちの献策により島の自治体制を整備し、今日の基礎を作ってくれた。天草の多くの秀才が日田の成宣園に学び、天草の医 療技術の発展に貢献したことを、多感な青年時代になぜ教師たちは教えてくれなかったのだろう。


昨今、天草の小学生、中学生、初めて天草に赴任した教師たちは、世界文化遺産に認定された「崎津集落」について学習するようになった。そんな中にあつて 「河浦の中学生たち」が島の歴史を自信をもってガイドしてくれている。頼もしい限りである。

 

作家の司馬遼太郎さんが「街道を往く 島原・天草諸道」の中に、「もし故郷を自由に選べるとすれば、自分は島原よりも天草を選ぶだろうと思った。」と、記されている。 司馬さんの言葉に押されて、ガイドで頑張っている。 関西の皆さん、日本の宝島 「天草」へ、たまにはお帰り。

 

 

 

学年通信(高15回卒)” に対して3件のコメントがあります。

  1. 前垣 郁美 より:

    まだ天草にいた頃、誰のエッセイかで、「与謝野晶子や鉄幹が歌を詠み、イソップ製菓と書かれた車が走る島」と感動的に書かれていて、ハッとした事があります。
    結婚した夫は、何もない原城跡にて物思いに耽っておりました。
    京都の遊郭島原は、島原の乱が起こった年に引越しした事が地名の由来になったとか。
    沢山の人に、「天草に連れていって、イルカのいるロマンチックな島でしょう」と言われました。
    外へ出てから天草の事を思うようになりました。
    私も、若い頃、どこの出身?ときかれると、小声で
    「天草」と答えていた気がします。
    天草に帰りたくなりました。

  2. 松尾(旧姓金子)弘美15回卒 より:

    亀子さん学年通信有り難うございました。4/1からから帰天草し未来大橋渡り、又十万山の桜の下から眺めて来ました。
    素晴らしい歴史と、風光明媚な天草初めて訪れた孫達が、ジイジとバァバはこんな良いところで、生まれて育ったんだネと天草に来て良かった。楽しかった!との事でした。

    1. 本島 昭男 より:

      松尾様
      コメントありがとうございます。
      最近、天草がよくテレビにも出てきますが、私も今年こそは帰りたいと思っております。
      ところで、昨年10月に熊本で同級生5人で会食してきました。
      https://amatakakansai.sakura.ne.jp/wp/2022/10/28/gakunentsusin_15/
      喜寿を逃しての傘寿の会を、来春に天草で開催しようと熊本や天草の幹事が動いてくれています。楽しみですね。

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